ヌプリロ

とりあえず記録、駄文すら書くこともなくなった

なんとなく蛇イチゴを思い出した

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今月、なんとか映画祭で西川美和監督と役所広司が名古屋に来ると知って、これは行かないとと思って、結局チケットを買う前に完売して、またタイミング的に名古屋には来ずにオンラインの開催になったみたいだった。
西川美和監督の蛇イチゴが好きで何回も見ているけど、いまだに西川美和監督の一番はゆれるという人もいるし、ゆれる以降の映画が有名で、蛇イチゴはあまりパッとしない。
本編にそれなりに関係ある、大谷直子が義理の父親の松之助師匠の介護をしているシーンが冒頭からある。松之助師匠はさんまの師匠だ。
松之助師匠の介護は大谷直子に任せきりで他の家族が介護しているシーンはなかったように思う。
おいは今、ほぼだいたいのことを自分ひとりで決めている気がする。それが正しいかどうかわからないし。言ってくれる人もいない。
昨日も認知症相談センターの人に相談をし、ケアマネジャーに電話した。みなやさしい。
やはりしんどいなと思う。おいが判断したことはよかったのか悪かったのか。

西川美和監督の映画「蛇イチゴ」を思い出した。葬式お見舞い金詐欺の兄(宮迫博之)を追って主人公の妹(つみきみほ)が未明の森をさまよう。少しずつ明るくなってそこに蛇イチゴを見つける。兄のことをろくでもない奴とそれまで思っていた妹は考えを変えるんだ。法の中ではクズでも、法外では輝いていると。宮台先生が言う森も、社会の外に出て変性意識状態を作り出すもののことを言うんですね
西川美和監督「蛇イチゴ」18年ぶりに観て(もうそんなになるんだ)、前回のツイートに記憶違いあるのを発見。「子供の頃、森の中に蛇イチゴがあると兄さんは言ってたけど、なかったやん、嘘つき」とつみきみほに言われ、宮迫はもう一度森に誘う。
二人で森に入るのだけど川が流れていて、つみきみほはそこで立ち止まってしまう。それをみた兄の宮迫に「この川を渡った先に蛇イチゴがあるんだ。子供のころもお前は渡らなかったから蛇イチゴを発見できなかった」と言われる。この映画のポイントは”川”を渡るか渡らないかにあるのに気づいた。
川を渡り兄の宮迫と先に進む=相手の懐に入る。で、蛇イチゴを得られる=相手の自分の知らない情けを知ることができるってことなのね。つみきみほが立ちすくむのは自分のポジションを崩せないことを意味し、相手の一面しかみれていないってことなの。常に相手の懐に飛ぶこむのは大変なことだからしょっちゅうすべきことじゃない。しかし川を渡らないでいるのは相手の一面しか見ていないことを忘れないように留意すべきなんだ。つみきみほが演じる妹は、調べもしないくせに生徒(染谷正太の子役時代です)を嘘つきと決めつける硬直した頭の小学校教師として描かれていたでしょう。
婚約間近の恋人に、親の借金がバレて去っていくのも、つみきみほ演じるヒロインに人の見る間が全くなかったってこと。でラストの蛇イチゴ。とても素晴らしいシーンなんです。福音のようなシーン。ヒロインは覚醒したんです。階段を踏み外したことのない人間には他人の本当の姿なんて見えないことに気づいたのね。ヒロインの人生はこれからが本当のスタートって意味でもある。あの蛇イチゴには蟻が1匹歩き回っていたでしょう。ヒロインの今後の姿をメタファーしているんです。本当に考えられたシナリオ及び演出です。西川美和監督映画に共通するのは、最新作のすばらしき世界にしても、道を踏み外した人間じゃないと見えない世界があるという世界観なのね。いい学校ーいい会社ーいい人生でエスカレーターで生きてきた人間には他人の真の姿は見えないのではないか。